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古典落語は、幕末から明治にかけて熟成しました。
現在、一般には落語の原型ができあがったのは、戦国時代末期と言われています。
この時期、戦国武将は、学者・茶人などで組織された「御伽衆」をかかえており、その中に「頓知者」と呼ばれる人々がいました。
当時の代表的な人物として、『醒睡笑』(1628)を著した安楽庵策伝が挙げられます。 彼らの滑稽話が落語の祖型となったと言われています。
江戸時代中期、江戸の中橋広小路を中心に活動した鹿野武左衛門、京都の祇園真葛ヶ原を中心に活動した露の五郎兵衛、大阪の生玉社境内を中心にした米沢彦八らが登場し、最初の落語ブームが起こりました。
ところが、1693年江戸で悪疫が流行した際、「南天の実と梅干しを煎じて飲めば効能がある」との流言が広まり、南天と梅干しの値が急騰するという社会問題が発生しました。
結局これは、一儲けしようと八百屋とたくらんだ浪人が流した虚言だということが分かったのですが、犯人が武左衛門の噺をモデルにしたと言ったため、武左衛門は島流しとなり、江戸の落語は下火になります。
他方、上方では米沢彦八の後継者に加え、初代桂文治らが出て落語が庶民の生活に浸透していき、その結果、落語においては、上方が先行することになりました。 江戸中期から幕末になると、各種の政治改革のたびに統制を受けつつも、上方落語の影響を受け、再び江戸でも初代立川焉馬を中心にして落語が活発になり、三遊亭圓生、三笑亭可楽ら職業落語家も登場してきます。
明治新政府になると、芸能を統制下におくという政府の方針により、落語も大きく影響を受けました。 特にこの時期、猥褻なものに対する規制が強まり、艶笑噺の多くが寄席から外されていきました。 他方で、初代三遊亭圓左、四代目橘家圓喬、初代三遊亭圓右、三代目柳家小さん、四代目橘家圓蔵らを中心にして「落語研究会」が創られ、落語の質が高められた時期でもありました。この時期につくられた落語が、今日、古典落語と呼ばれるものになります。
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